都島区は京橋駅と都島駅周辺を中心に商業地を形成
大阪市都島区は、大阪市の北東部に位置しています。JR線、OsakaMetro、京阪電鉄の3社6路線が乗り入れています。JR線と京阪電鉄京阪線、OsakaMetro長堀鶴見緑地線が乗り入れるターミナル駅の京橋駅周辺は、ショッピングモールなどの商業施設が立ち並び、商業の中心となるエリアです。OsakaMetro谷町線都島駅周辺は、都島区の中心部に位置し、商店街などの商業施設や、スポーツセンターや医療センターなどの公共施設が立地し、高層マンションも立ち並んでいます。都島警察署都島通と市道赤川天王寺線の交差点があり、車の往来量も多いエリアです。
1943年、北区と旭区から分離・再編して発足した。区名の由来は長柄豊崎宮の東岸(向かい側)に位置していたことから付いた『宮向島(みやこうじま)』という名が転訛したという説と、単純に都があったことから付いたという説の二つが今のところ有力。豊臣秀吉の時代には南部の京橋周辺が京街道(現:国道1号)の宿場町として栄え始め、江戸時代に入ると現在の都島通以北の地域が都市近郊の農村地帯として開墾され始めた。
明治時代以降は市街地に変貌を遂げ、大阪市北部有数の産業地区となった。戦後も人口増加が続き、繊維業や軽工業を中心に大いに発展したが、1970年代以降は地価の高騰やドーナツ化現象などに伴って工場は郊外に移転、昔ながらの市街地では労働力層の人口流出が起こった。 これにより都島区には長く停滞感が漂っていたが、リバーサイドともぶちや1982年にカネボウの工場跡地に大型高層住宅群ベルパークの建設が始まったことを契機に、都心に近接した交通の便の良い理想的な住宅地としての価値が見直され、マンション建設・市街地再開発が加速。区の人口は2004年に10万人の大台を回復し、現在も都島区は着実に発展を続けている。
新京橋商店街にある「真実の口」には、時事ネタをつぶやくセリフが書かれているという。
大阪市都島区 新築一戸建 供給数 ≪少≫